ゴーギャン展
2009/08/17 15:42
我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへゆくのか
- 東京国立近代美術館。ゴーギャン展を観終わったあとで館内のアートギャラリーに寄る。「芸術新潮」と「版画芸術」のゴーギャン特集をパラパラと見比べたが、今回のゴーギャン展で個人的には木版画連作<ノア・ノア>が興味深かったので、「版画芸術」のほうが面白そう。
- 出版社/メーカー: 阿部出版
- 発売日: 2009/03
- メディア: 大型本
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- 美術展の公式図録は単調で、つまらない。
- ゴーギャンのイメージとして最も印象深く記憶している一枚が見当たらない。大作の部分をトリミングしていたものか?いや、少し違う。<悦び(アレアレア)>が、もっともイメージが近い。
- 昔、Bow Wow Wowというバンドがあった。彼らがジャケット・デザインのネタに使っていたのが、ゴーギャンの絵だった?いや、アレはマネかロートレックか?(今、調べてみたら、マネの『草上の昼食』だった。)
- 今回は、大作よりも版画が面白かった。これこそ、印刷物ではそのディテールを見ることが難しい。3種類ある摺りのそれぞれが異なるテーストを持っている。特に四男が、ゴーギャンの死語に版木を発見して摺った、というポーラ版が、自摺り以上に繊細な線を再現しており興味深かった。インクの詰まりによってベタになっていたところも細かい線描になっており、複雑なトーンを見ることができた。
木版画「ノアノア」(全10点)は、タヒチの自然や文化について知ってもらうためにゴーギャン自身が執筆した「タヒチ滞在記」のための挿絵。
「ゴーギャン展」 - 好きなんだからしょうがない―bigflyのコレクションROOM - Yahoo!ブログ
ゴーギャンが版を彫った後、自ら摺ったものは8-10枚程度しかないといいます。
後(1893-94)には友人のルイ・ロワに依頼して摺られたものが約30部のセット。こちらにはゴーギャン自摺りのものにはなかったステンシル(ポショワール)による彩色が施されています。(ロワ版は黒インクの濃度が高いために版の細部が潰れてしまっていて、さらに彩色の使用に評価が別れます。ただし、今となっては、このロワ版も大変貴重な作品。)
1921年にはゴーギャンの息子ポーラによる後摺り限定100部があります。
このポーラ版は「ノアノア」10点のうち8点に、ゴーギャンの他の版画(やはり後摺り)2点を加えた10点により構成されたもの。
2色のインクを使用した機械摺りで、版に彫られたかすかなひっかき線まで出来るだけ忠実に用紙に写し取る事に成功しています。
自摺りとロワ版では曖昧だった画像の形もポーラ版によってはじめて確認する事が出来ます。
- ゴーギャンが出版を前提として書いた文章と版画「ノアノア」が文庫になっていることを知る。そのうち、読むかもしれない。
- 作者: ポールゴーギャン,Paul Gauguin,岩切正一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1999/10
- メディア: 文庫
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- 1889年のパリ万博が、ゴーギャンにも大きな影響を与えたことは間違いない。植民地主義の上に成り立った芸術、良くも悪くも、そういえる。作曲家のドビュッシーも、エキゾチズムの影響を大きく受ける。19世紀後半から20世紀初頭の西欧芸術は、日本をはじめとするエキゾチズムを取り込むことで、新たなモードを築いてきた。
- サマセット・モームの「月と六ペンス」は、ゴーギャンをモデルにしたものだったそうだ。
- 20歳から2年程海軍に入り、除隊のあとは株式仲買人になる。10数年間この仕事をしている間に経済的余裕ができて、有名な画家達の絵画を購入。画業への想いが募り、株式市場が低迷したこともあって30代後半で画家として独立する道を選ぶ。家族を捨て、タヒチに向かい、その経験を作品とするがパリの画壇での評価は上がらず、失意のまま再度タヒチへ。二度とパリに戻ることはなかった。