Wikimedia Conference Japan 2013
Wikimedia Conference Japan 2013
2009年以来の開催となった(らしい)カンファレンス。
配布資料とメモから抜粋して印象的だったポイントを紹介する。
(一部、メモが正確ではない表現もあると思うがご容赦を…。)
Wikimedia Conference Japan 2013
招待講演1: Jay Walsh(ジェイ・ウォルシュ)
(Head of Communications, Wikimedia Foundation)
Wikipediaの現状について、データと共に紹介。
世界で第5位の訪問者数、日本国内では第9位のサイト。
課題はいくつかあるようだが、「参加者数の横ばい」が悩みのタネ。
新しい試みとして、Wikipedia ZEROというプロジェクトもある。
招待講演2: 吉見俊哉
(知の構造化センター副センター長/東京大学大学院情報学環 教授)
カルチュラル・スタディーズでも有名な吉見教授 による講演。
タイトルは「エンサイクロペディアとアーカイブの結婚 ウィキペディアから新しい大学は生成するか」というもの。
"16世紀と21世紀は、「グローバル化と情報爆発による新しい価値の創造」という点において似ている。"
"「エンサイクロペディア」は、もともと西周(にし あまね)によって「百学連環」と訳され、単なる出版物ではなく文化運動を指していた。フランス百科全書からウィキペディアまで続く系譜といえる。"
"集合知としてのエンサイクロペディアと記録知としてのアーカイブ…"
"そもそもCultural Instituteを「文化学術団体」と訳すように、日本ではCultureを「文化」と訳したことによって対象範囲を狭めてしまった誤解を生じている…"
といった内容(表現は多少違ったが・・・)が個人的には興味深かった。
なお、午後の講師である佐藤翔氏による詳細なメモが既にここにアップされている。
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20130203
午後は2会場に分かれてのセッションだったので、聴講したセッションについてのみメモとコメントを付記する。
「Web社会を生き抜くための情報リテラシーを学校でどう育てるか」新井紀子(国立情報学研究所)
リテラシーを規定するのものは、哲学・思想ではなく、科学・技術であり、近代の生産力を支えるためのものだった。読み書き算盤の時代は終わり、Web社会においては「CMS」的コミュニケーション、情報に付加価値を付け加えることができるリテラシーが求められる。小学5年生を対象としたケーススタディについて紹介。
「3.11直後のウィキペディアへのアクセス状況」Ninomy(ウィキメディアン)
基本的なスライドは以下に掲載。
http://www.slideshare.net/ninomy/
解析用データは以下から入手。
「Wikipediaと学術情報利用:オープンアクセスの時代に広がる学術情報流通とWikipedia日本語版への期待」 佐藤翔(筑波大学大学院/ブログ「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」)
Wikipedia日本語版でも学術文献は引用されているが、引用数/記事数に関して、日本語版は英語版の1/3程度しかない。また、こうした引用・外部リンクへの信頼・評価が日本語版では英語版よりも低い。もっと学術情報の利用を進めていきたい。
「Wikipediaの議論と議論参加者の分析に関する研究」朱 成敏, 武田 英明(国立情報学研究所)
Wikimediaを使った研究はいろいろあるが、上記2つのようなWikmedia自体を解析する研究 は少ないらしい。
「日本語Wikipediaオントロジーの構築と利用」 玉川 奨(慶應義塾大学大学院理工学研究科)
個人的には一番興味深いプレゼンテーションだった。
の開発者による研究発表。セマンティック・ウェブの流れにあるLinked Open Dataのひとつとして位置づけている。LODのHubであるDBpediaとはアプローチも異なるため相互の共存を考えているという。
モバイルでのレコメンデーションなども含む「検索・分析支援」や「ロボットとの連携」など応用への視野も広がっている。
「ニコニコ学会β」 江渡浩一郎(産業技術総合研究所)
前半は江渡浩一郎氏の自己紹介・作品紹介、後半にさらっとニコニコ学会βの紹介(PR)。
なぜニコニコ学会βがWikimediaのカンファレンスに?と素朴に思ったが、
2009年のこのカンファレンスでは、自著の
「パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則」について紹介したことが、今回の登壇の契機になっている模様。
集合知への関心が高い江渡氏にしてみれば、Wikimediaに集うコミュニティとニコニコ学会βの相性はいいと考えているのかもしれない。
最初が吉見俊哉で最後が江渡浩一郎、というところに、ブッキングした事務局側の意図(?)を感じる。近い将来のカルチュラル・スタディーズとは、こういうニコニコ学会βのようなもの、なのかもしれない。