「電子投票制度」を殺したIT音痴な政府と理念なきベンダー

電子投票が行われたのは、2002年6月の岡山県新見市長・市議選が第1回目の実施例で、以来2005年までに十数回の電子投票が実施されている。

 この中で2003年7月に行われた岐阜県可児市議選がすべての死命を制した。この選挙では、多数の機器トラブルが発生し、サーバーはダウンし、有権者は長蛇の列をなし、あきらめて投票所から帰ってしまった人もいたという。システムを提供したのは富士通富士通フロンテック、そして選挙機材大手のムサシだ。

<中略>

 有権者らは裁判所に選挙無効を訴え、2005年7月の最高裁判決で選挙無効が確定した。これ以後地方自治体で電子投票は実施されていない。地方自治体が電子投票を議論するのは封印されたのだ。

 せっかく電子立国への道筋をつけるための法制度を整備しても、その後の対応が悪いと最悪の結果になる良い事例だ。民主主義の根底をなす選挙制度の改革という、通常の業務システムとは違った観点からの慎重な検討が必要なものを、単なる商売の道具としか考えず、しかも十分な検討やテストをせずに出荷し、結果として制度そのものを台無しにしたベンダーの罪は大きい。

 同時に、最初は制度の支援を国費を使ってでも行うとしながら、具体的な支援策を制定せず、さらには法の趣旨を担保するための諸規定が不備なまま放っておいたIT音痴の総務省の罪も同様だ。

IT & 経営 :テクノロジー :日本経済新聞

それにしても電子投票のインフラも満足に構築できない国がIT立国になるわけ…ないな。(苦笑)